教育者、指導者としてのあり方

偉大な聖人や哲学者、キリスト、ブッタ、ムハンマド、孔子、ソクラテス、プラトン、アリストテレスは、皆、偉大な教師だった。指導者という言葉は、教育者という意味も含んでいる。彼らが教え伝えようとしたのは、何だったのか。それは、人生についてである。人間いかにあるべきか、いかに生きるべきか、その方向を教えられる者こそ真の教育者である。

 

昨今はその教育者・指導者の資質が著しく欠如している不埒者が世の中を跋扈しておる。表面上は恰も聖人然と装っていながら、人目につかぬところで悪事を働く、まるで詐欺師のような罪人がいわゆる「先生」と崇められていることに強い憤りを感じる。

 

特に我々のように、「女性や子どもたちのような弱者を護り、また自らを護るチカラを授け、社会平和のために身命を賭して全力を尽くす」と大きな旗を掲げ、護身術を指導する者は余計に身を正してその仕事に臨むべきであろう。もし、その指導者自身が粉飾された言葉とは真逆の行為を平気で行っているなら、これはもはや立派な詐欺師である。人に教える資格はない。すぐにでも是正されるべきで、そのような許されざる罪人は永久追放しなければならない。

我々に限らず、指導者と生徒との関係は信用・信頼で成立しており、その信頼を指導者自身が裏切るなら、もはやその者は指導者ではない。その信用・信頼を構築するのには弛まぬ努力と相当の時間を要するが、それを失うのは一瞬だ。ほんの少しの愚かな行為が自滅に導く。だから余計に我々は常日頃から襟を正し、正しき道を歩む努力を怠ってはならない。

私自身も褒められた人間でない。どちらかと言うと欠点だらけの不完全な人間であるからして、人一倍注意せねばならんと日々自分に言い聞かせています。

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