何事も身分相応に考える

秀吉の軍師で36歳という若さで病死した竹中半兵衛重治。日の本いちの知将と謳われ、黒田官兵衛を名軍師へと導いた兄貴分でもあり、また官兵衛の嫡男で江戸時代には52万石の大大名となった黒田長政の命の恩人でもあった武士の中の武士ともいうべき人物である。
また半兵衛は元の主君で、酒色に溺れて政務を顧みようとせず、一部の無能な側近だけを寵愛して半兵衛を政務から遠ざけて蔑ろにした斎藤龍興の稲葉山城を手勢たった16人に乗っ取ったという離れ業を成し遂げたこともある。その半兵衛が残した言葉で、

 


「身分不相応な値の高い馬は買い求めるべきではない。よき馬ゆえにかえって名を失うこともある」                  

 

というのがあるが、これは名馬を買えば、合戦の際にその名馬が惜しくなり戦機を逃しかねない。だから貧相な馬でいいのだ….という常に実戦を頭に入れて行動していたという超ストイックな半兵衛ならではの名言である。武道人たるもの私欲にかられ、身分不相応なモノを求めたり、派手な行いは断じて慎まなければならない。結局、身分不相応な行いは自らを滅ぼす魔物となる。

Rくんの初稽古とNGちゃんの体験レッスン

先週のキッズクラスはRくんの初稽古に加え、合気道をやってる女子NGちゃんが体験参加で賑やかな稽古になりました。Rくんは観察力が鋭いようで覚えがかなり早い。よく私の説明を聞いて即座に理解してくれます。先が楽しみな子ですね。NGちゃんは初参加とは思えないぐらい皆に溶け込んでとても楽しそうに稽古してくれてました。1年違いのMNちゃんといいコンビになりそうです。付き添いで見学されてたママさんも我々の実戦的な訓練法にかなり得心されたようで来年から正式に仲間に加わってくれることに。NGちゃん、わりと積極的に質問とかしてくれてたので本人もかなりお気に召したようで良かったです。

キッズクラスの場合は最初に親御さんに我々の指導について趣旨や目的をご理解を頂くことからスタートです。あくまで実戦にこだわった護身術であることが他所との大きな違いであること。あとは本人がどれだけ気に入ってくれるかですが、大抵は即答で「やりたい!」と言ってくれます。まあ、このクラスの稽古は楽しいですから、よほど引っ込み思案な子でない限り同じような反応が毎度です。

私はあまり怒りません。稽古中に注意を促すことはしますが、なるべく本人の自主性を尊重しています。ただメリハリはつけるようにしています。そして楽しいだけでは身につかないので大事なポイントはしっかり伝えるようにしてます。ちなみに、このクラスは途中で辞める子はほとんどおりません。それは何故か?単純に「愉しいから!」だと思ってます。何事も愉しくなければ続かない。それが私の持論であります。生徒が心の底から愉しんで学べる環境をつくるのは我々指導者の仕事。言うことを聞かないからと言って不用意に怒鳴り散らしたり、暴力に訴えるのはこれ正に愚の骨頂。指導者の器ならず。生徒それぞれの個性と能力を最大限引き出し伸ばしてあげるのが指導者の最たる仕事と心得ています。

RくんとNGちゃん、これからどう育てていこうかと愉しみがつきません。人を育てるのはとても難しい。しかしそれ以上に愉しいのです。

大野三段による大東流合気武道セミナー

剣護身術のルーツでもあり合気道の前身武術でもある大東流合気武道(柔術)。長らく秘伝とされ門外に露出することなかった大東流合気武道(本家)ですが、今回初めて一般公開される運びとなりました。現宗家は大東流中興の祖・武田惣角翁の直孫であり、数ある大東流の流派の中でも最も武田惣角翁の技を正確に受け継いでいる本家であります。その武田宗家が最も信頼を置いている愛弟子の大野裕迪三段が宗家直伝の技の数々を今回特別に披露してくれます。合気上げの代表される合気の基本鍛錬から護身術・格闘技にも活かせる実戦技まで3時間たっぷり稽古します。剣護身術・合気道関係者は元より他流派の方も自らのスキルアップにぜひ役立てて頂きたく思います。

■日時:2018年11月23日(金・祝)18:30~21:30(途中休憩あり)
■会場:神戸常盤アリーナ(兵庫県立文化体育館)2F柔道場
(〒653-0837兵庫県神戸市長田区蓮池町1-1)
*山陽電鉄・西代駅すぐ
■参加資格:一般・学生(ジャンル問わず)
■参加費用:6,000円(税込)
■申込み:神戸支部ウェブサイト・イベントページより

大切な仲間

以前に京都から神戸支部の稽古に通ってきてくれていた元少林寺拳士の川本さんが、勤務していた病院を辞め、京都の丹波橋に気功整体院を開院されたのが丁度1年前。一度伺わなければと思いながら中々の出不精ゆえに伺う機会を逃したままだったんだが、1周年キャンペーンで特別価格で診てもらえるというので厚かましくも予約入れさせてもらい、ついに先日行くことができた。

久しぶりにお会いした川本さんは相変わらず人懐っこい笑顔で出迎えてくれ、色々と雑談を交わしたあと、施術に。私が長年の腰痛の状態を説明すると、身体をチェックし、その腰痛の原因を骨格模型を使いながら丁寧に解説。なるほど!と納得のいく分かりやすい明確な説明。それから気功を使いながら歪んだ骨盤と背骨をミリ単位で丁寧に調整。気づけば、腰痛が嘘のように、いや何事もなかったかのように消え去っており、その魔法のような技術に驚嘆した。

しかし癖がついているため、またしばらくすると元に戻るだろうと言うので何回かは通院しなければいけないが、なにぶん痛みもなく超ソフトな整体なので毎日でもお願いしたいぐらいだ。神戸からだと大阪でいったん環状線に乗り換え、京橋で京阪本線に再度乗り換えなければならんので電車通院がちと不便なのが難儀であるが、それを差し引いても行く価値はある。次回は車で行ってみようと思う。

なにしろ川本さんの人柄がいいし、仕事に対しての姿勢が素晴らしい。患者のことを第一に考えてくれる先生だ。神戸支部在籍中は彼も私を信頼してついてきてくれていたし、私も彼に全幅の信頼を置いている。残念ながら開業のため『剣』を去ることになったが、今までもこれからも大切な仲間のひとりであることに変わりはない。せっかく縁あって『剣』で知り合った者同士、絆は大切にしていかねばならん。

人と人との繋がりが人生を豊かに彩ってくれる。だから人を大切にしたい。人を粗末に扱う人は自分も粗末に扱われる。それが自覚出来ない者は人の上に立つてはいかん。ニュースで大騒ぎになっていた某韓国企業のトップによるパワハラではないが、人の上に立つ者でお粗末な人間が何と多いことか。嘆かわしい限りである。

教育者、指導者としてのあり方

偉大な聖人や哲学者、キリスト、ブッタ、ムハンマド、孔子、ソクラテス、プラトン、アリストテレスは、皆、偉大な教師だった。指導者という言葉は、教育者という意味も含んでいる。彼らが教え伝えようとしたのは、何だったのか。それは、人生についてである。人間いかにあるべきか、いかに生きるべきか、その方向を教えられる者こそ真の教育者である。

 

昨今はその教育者・指導者の資質が著しく欠如している不埒者が世の中を跋扈しておる。表面上は恰も聖人然と装っていながら、人目につかぬところで悪事を働く、まるで詐欺師のような罪人がいわゆる「先生」と崇められていることに強い憤りを感じる。

 

特に我々のように、「女性や子どもたちのような弱者を護り、また自らを護るチカラを授け、社会平和のために身命を賭して全力を尽くす」と大きな旗を掲げ、護身術を指導する者は余計に身を正してその仕事に臨むべきであろう。もし、その指導者自身が粉飾された言葉とは真逆の行為を平気で行っているなら、これはもはや立派な詐欺師である。人に教える資格はない。すぐにでも是正されるべきで、そのような許されざる罪人は永久追放しなければならない。

我々に限らず、指導者と生徒との関係は信用・信頼で成立しており、その信頼を指導者自身が裏切るなら、もはやその者は指導者ではない。その信用・信頼を構築するのには弛まぬ努力と相当の時間を要するが、それを失うのは一瞬だ。ほんの少しの愚かな行為が自滅に導く。だから余計に我々は常日頃から襟を正し、正しき道を歩む努力を怠ってはならない。

私自身も褒められた人間でない。どちらかと言うと欠点だらけの不完全な人間であるからして、人一倍注意せねばならんと日々自分に言い聞かせています。

ルーツから得る解答

先週金曜は大野参段に神戸まで出張って頂き大東流合気武道の稽古会。二ヶ条立合を中心に3時間みっちり。久しぶりの柔道場で広々と遠慮なく稽古できて非常に充実しました。嬉しくて必要以上に回転受身で飛びまくったんで翌日全身筋肉痛(笑)。しかし色々と柔術技について得るものが大きかったので収穫大であります。

我々のルーツである大東流には数々のヒントというか解答が秘められてます。足捌き、動線、身体の遣い方などなど。それらを学ぶことは本当に楽しいし、また会得することで『剣』の技にも還元できる。今回も色々と宿題を頂いたので次回までにしっかり練り上げていきたいと思います。

剣の理合を生かす

先週土曜のキッズクラスは前日の大東流合気武道の稽古会に三重からお越しになっていた大野参段に途中交じって頂き子どもたちに特別稽古をつけてもらいました。

  

剣の理合を生かした大東流の柔術護身技の稽古は非常に面白く私自身も勉強になりました。どもたちも大変楽しかったようで今日出席した生徒たちはラッキーでしたね。


剣護身術はその名の通り、剣の理合を基本としています。だからキッズクラスでは剣術の基本稽古でその理合を学ばせるようにしてるのですが、今日はその発展的技法をいくつかご教授頂き大きなヒントを得たので今後の稽古に生かしていきたいと考えます。

天賦の才

キッズクラスで頑張ってるMMちゃん。この子には類まれなる才能というか無限の可能性を感じます。こういうのを天賦の才というんでしょうか。まず身体が柔らかい、そしてリズム感が非常にいい、観察力が鋭い。そして誰より私の話をよく聞いています。持って生まれた感覚が武道に非常に相性がいいんだと思いますが、このまま続ければ中学に上がる頃にはかなりの逸材になることは確実ですね。指導者としては将来、剣護身術を代表する女性インストラクターになってもらいたいと願っています。そしていつも送り迎えしてくれているお母様も非常に熱心で私の講義をメモしたり写真や動画を撮ったりしてくれてます。母親のそういう姿勢っていうのは子どもにも伝わりますから。MMちゃんも稽古後に質問ぶつけてきたりするんで感心するばかりです。

そう言えば去年、黒木代表が神戸に審査会で来られた時にMMちゃんを初めて見て、

「スゴイ子が入りましたね!あの不審者役に向かって行く気迫と眼力はとても入門したての子と  は思えないですよ。先が楽しみですね~。」

とべた褒めしてました。それで審査には申し込んでなかったものの、代表特別事例として10級橙帯が認められましたから。MMちゃんにはこの先もずっと向上心を持ち続けて頑張ってもらいたいと思います。

仙台伊達62万石ツアー:仙台城址~瑞鳳殿~瑞巌寺

奥羽の覇者として天下人の太閤秀吉や大御所家康とも堂々と渡り歩き、晩年は将軍のご意見番として天下の副将軍を名乗り、奥羽に独眼竜あり!と諸大名に畏敬の念をもって接しられた戦国の風雲児・伊達政宗公。若き日はその荒武者ぶりで戦場において数々の伝説をつくり、仙台62万石の領主となってからは藩内の治世に務め、領民からは花も実もある大名よと愛され、歴史に燦然と輝く功績を残した人でした。

その政宗の居城であった仙台城は今や石垣しか残っておらず高台の広場に騎馬像と歴史資料館があるのみですが、さぞかし風光明媚な立派な城だった思います。資料館の模型やCGでの再現映像で全貌を見ることができます。

 

 

 

そして仙台城から少し東に位置する経ヶ峰という高台に伊達家3代(政宗~忠宗~綱宗)の霊廟・瑞鳳殿があります。政宗公が生前に自ら経ヶ峰を訪れ、自分が死んだらここに墓所を造るよう指示したと言われており、またこの経ヶ峰は伝説の修験僧・満海上人の墓があったとされている場所。ちなみに政宗公は同じ隻眼の満海上人の生まれ変わりとも言われてました。瑞鳳殿は2代忠宗公によって建立されたものですが、桃山文化の遺風を伝える綺羅びやかな装飾が施された豪華絢爛な廟建築であります。さすが当代随一と言われた洒落者の政宗公らしい霊廟かと拝察した次第。建築的にも非常に良い勉強になりました。

 

 

そして最後に日本三景のひとつ松島にある政宗の菩提寺でもある瑞巌寺。用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、海上を筏に組んで運び、大工は梅村彦左衛門家次一家や、刑部(鶴)左衛門国次ら名工130名を招き寄せて建立したという政宗公肝いりの国宝に指定されている寺。本堂は禅宗方丈様式に武家邸宅の書院を加えた10室間取で、東・南・西三方に上縁・下縁を巡らしています。なかなか立派な木材を各所に使用しい手の混んだ細工がされており、京の寺院にも劣らない素晴らしい造りでしたね。また江戸幕府の幕閣たちから、幕府を転覆させる恐れのある油断ならぬ大名として睨まれていた政宗は、一部の幕閣の陰謀による仙台藩討伐の危機がありましたが、その時にもし仙台城が落城した場合はこの瑞巌寺を最後の砦とするよう指示していたと言われてます。

いずれにせよ、太平の御世にあっても畏れられるは武門の誉である…. と政宗は豪快に笑って一笑に付していたと言います。その後は2代将軍秀忠公から圧倒的な信頼を勝ち取り、また大御所家康公が「何か不都合ある時は伊達政宗を頼りとせよ」と遺言を残していたこともあり、天下のご意見番としてその地位を不動のものとしました。また3代将軍家光公からは「父のように思う」と慕われ、政宗公が病に伏していた時に将軍自ら見舞いに訪れるという異例の扱いだったらしい。家光公が3代将軍就任の席上で諸大名に放った有名な言上、

 

 

「東照宮(家康)が天下を平定なさるに際しては、諸侯の力を借りた。また秀忠公も、元はおのおのがたの同僚であった。しかし、余は生まれながらの将軍であり、前の二代とは格式が異なる。よっておのおの方の扱いは、これより、家臣同様である!」

は政宗の入れ知恵によるものだったとも言われている。政宗の死の報せを聞いた家光は、秀忠が死んだ時よりも落胆したと言われ、江戸で7日、京で3日間、殺生や遊興を禁止したほど政宗贔屓だったようだ。戦国の生き残りとして天下の将軍に忌憚なく意見を述べる政宗に家光が相当の信頼を置いていたのは間違いないみたいです。激しい戦乱の世をかいくぐり、晩年は天下の副将軍として不動の地位を確立した政宗公は天下人になる夢は叶わなかったものの、その後約380年もの間、戦国の英雄として語り継がれるわけですから凄いですよね。逆に石田三成などは徳川から逆臣の汚名を着せられ、後世まで逆賊扱いで語られたわけですから同じ戦国大名でも天と地ほどの差があります。

仙台伊達62万石ツアー:白石城!

夏休みで家族連れて仙台伊達62万石の旅に行ってきました。実は東北は全然行ったことがなく、仙台へも初上陸。NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」を観て以来の伊達政宗フリークでずっと行きたかったんですが何故か行く機会に恵まれず。今回は神戸空港から仙台空港への便が復活したので、これはもう絶対行くしかないと決意して62万石の旅へ。

まずは仙台に着いてから目指したのが白石市にある白石城。白石市は仙台の南側に位置する城下町です。素麺の短いバージョンで若干柔らかい感じの温麺(うーめん)が有名な処であります。そしてこの白石城は伊達政宗の一番の家臣であった片倉小十郎景綱が入城して以来代々片倉家の居城であった城です。江戸幕府の時代にあっては一国一城制という厳しい掟が外様大名に課せられたものの、将軍家の信頼著しく厚い政宗公の仙台藩のみが仙台城と白石城の2城を異例中の異例で認められました。

その片倉小十郎景綱という家臣、これがまた天下に数いる名臣(直江兼続・島左近・黒田官兵衛などなど)の中でも一番の殿様思いの家臣で、死ぬまで伊達家一筋に忠節を果たした忠臣のなかの忠臣。

元々は神社の宮司の子だったのですが、政宗の父・輝宗公がその小十郎の利発さを気に入り、幼き日の政宗(幼名・梵天丸)の傅役に大抜擢。幼い政宗が疱瘡によって病み、飛び出た自分の右眼を抉り出すよう命じたとき、それに応じたのも景綱であった。これ以来、政宗の失った右眼となることを誓った景綱は、主君を支える軍師として、また一人の武将として常に政宗の側にあって知勇を駆使し、「独眼竜のいるところ、必ず片倉小十郎の姿あり」と周囲に恐れられ
、数々の伊達家のピンチの場面で時に若き政宗を体を張って諌め、伊達家を護った忠臣の鑑のような智将でありました。

18歳で父輝宗から家督を譲受け、初陣を必ず勝利で飾ると血気盛ん意気込んで芦名氏との戦にのぞんだものの、頼みの武将の裏切りにあい多くの兵を失い、退陣を余儀なくされる場面で、退却しないと全滅しかねない….という家臣の進言も聞き入れず、ひたすら攻め込むことに躍起になって譲らない政宗に、

「戦には駆け引きがござりまする。押すべきは押し、引くべきは引くが理の当然。成算なく猪突猛進致すはこれ匹夫の勇にあらずして何ぞや!ご退陣の前ぶれを何卒!殿(しんがり・退却の最後尾を務めること)はこの小十郎が務めまする!」

と体を張って諌め、全滅寸前の軍を救い、また関白秀吉の小田原北条氏攻めの際には、小田原へ参陣して臣下の礼をとるべし!という秀吉の命令を無視して上方の軍勢と一戦交えて奥州にて滅亡いたさん!と鼻息荒く政宗に進言する武闘派の伊達成実らに同調し、小田原参陣を拒む政宗に対し、

「今や関東より西の武将は徳川殿、毛利殿を始めいずれの国も関白の命に背く者はござらん。ひとり小田原の北条のみがこれに従わず関白殿の咎めを受けておりまする。関白殿の命に背くは即ち朝廷を侮るに等しく、逆臣の汚名を着せられても致し方ござりません。殿もまた北条殿に習い、奥州に留まりて滅亡なされば、末代まで逆臣の名を残すことと相成りましょう。」

「朝廷を畏れざるは不忠の罪なり!関白の命に背くは不義の罪なり!先祖伝来のお家を滅ぼすのは不孝の罪なり!不忠・不義・不孝の罪を犯しては、天の助けもあるべからず!」

と打ち首覚悟で政宗に進言し、その命をかけた小十郎の迫力に政宗は考えを改め小田原参陣を決め、寸出のところで関白秀吉から打首を免れたのは有名な話である。

また小田原城の落城後、奥州仕置に出向いた関白秀吉から、「5万石で三春城を与えるからワシの家臣になれ!お主の働き様によったら10万石にしてやってもいいぞ!」と政宗のいる前でヘッドハンティングされるも、

「某(それがし)は先君輝宗様格別のお引き立てにより姉共々伊達家にお仕えして事概19年、伊達家にて過分の処遇を賜っておりますれば何卒平にご容赦願い奉りまする。」

と関白のまたとない申し出を断り、その場にいた石田三成や蒲生氏郷らが政宗に「政宗殿が許すと言えば小十郎も申し出を受けるだろう!」と詰め寄るも更に、

「もし伊達家にて不要と仰せられれば、この小十郎、己の不忠を恥じてこの場で直ちに割腹仕りまする!」

と決死の覚悟で秀吉に断りを入れ、その忠義ぶりに秀吉も感服し、「どうじゃ!ワシが見込んだ男であろう!あっぱれ!」と羽織っていた衣を小十郎に遣わしたという。

「独眼竜政宗」では西郷輝彦さんが素晴らしい演技で小十郎を演じておられました。私的にはいわゆる戦国の軍師と言われるナンバーツーの中では片倉小十郎景綱が一番好きです。その白石城(復元されたものですが)に来れて感無量でありました。

しかし、この日の仙台は異常な暑さで汗がとめどなく吹き出て焼け死ぬかと思いました(笑)。ホントは甲冑までフル装備で着てみたかったのですが、さすがに熱中症になると思い断念。次回は春か秋に来ないといかんなぁ~。